こんにちは、noruです。
昨日は節分、暦の上では春です。
おや、雪が舞っています。
‥…そう、節分でしたね。
‥…。
老修道士は
「笑い」を否定しました。
「 民衆が笑うことで恐怖を忘れ、
悪魔を恐れなくなれば、
神は必要なくなる。」
当時は常に死と隣り合わせの毎日。摩訶不思議と思える出来事だらけ。
人々は知識よりも、信仰に心のよりどころを求めていました。
「笑い」
人間だけが持つ知的な行動。
目の前の出来事と想像や経験を
結びつけ滑稽という概念を生み出す。
そして、つかの間
幸せな気分にさせてくれます。
もし人々が現実の世界に
幸福を見いだし、満足したなら
天国や神さまに
救いを望まなくなるかも。
‥…。
また彼は知的活動も否定します。
「 知識はあくまでも保存するもの。探求するものではないのだ。」
もし不思議な出来事も探求すれば、いずれは真実にたどりつき、
信仰に疑いを抱くかもしれません。‥…おやっ。
ウイリアムは尋ねます。
喜劇は他にもあるのに、なぜアリストテレスの本だけ禁じたのですか。
「 そんなん当たり前やん。
アリストテレスやで。
隣のオッサンが言ってるのとはワケが違う。
超・偉大な哲学者やんか。」
‥…。
なんだかこの人。
なんだかんだ言って、禁断の書を手に入れてるし、ウイリアム顔負けの
探究心が強い人みたい。そして
かなり権威に弱そう。
‥…。
本音と建前。
だんだん矛盾してきました。
もし本当に罪深い危険な書だと思うなら、とうの昔に処分していたはず。
「 笑いは恐怖の特効薬。」
真実に気づいていたのかも。
そんな彼が視力を失います。
彼の探求の結晶=迷宮図書館。
がすぐそばにあるのも関わらず。
他人の笑い声。それは
自分が二度と味わえない喜びでした。
耐えられない。もう禁止じゃ。
そしてこっそり‥…独り占め。
「神の存在意義・信仰の危機」
‥…でも発端はエゴイズム。
最後は本と心中です。
図書館に火を放ち、
毒の塗られた本を食べてしまう。
なんだか徹底しています。
脱帽。
‥…。
原作はウンベルト・エーコ。
1980年に発表された小説です。
しかし上映当時は世紀末。
キリスト教の終末論や隕石の衝突。
人類滅亡の物騒な映画だらけ。
死なないはずの人たちまで
死んでしまう、一大イベント。
流行のスプラッター系の影響も受け、オカルト仕上げになってますが
本当は心の深淵をのぞく考えさせられる作品です。
登場人物たちは現代人にも共感できる人間らしい弱さを持っています。
ヒーローのウイリアムでさえ、
探究心の強さや賢さへのおごりが
自分の首をしめ、
つらい過去を背負います。
未熟な少年であるアドソだけが
無垢な存在として描かれ、世の中の矛盾や人間の弱さを問いただすのです。
さてタイトルの「薔薇の名前」
映画は年を重ね、病床にあるアドソの回想として描かれます。
彼は言います。
生涯でたくさんの人と出会った。
しかし心に残る人は少ない。
名前も知らない少女。
少女のことは魂が記憶している。
今となっては決して知ることのない「その名前」
夜明けのように現れた女性
月のように魅惑的で
太陽のように輝く
戦士のように恐れ知らずな娘
La rose 薔薇は愛しい女性のこと。
Le nome de la rose
この世に唯1人、君の名は。
‥…。
ものすごくロマンチック。
そしてちょっぴりせつない。
ボクも大人になりました。
ぷぷ‥…、なノダ。