こんにちは、noruです。
‥…。
今日は、さむいですね。
では、
ちょっと、シツレイします。
‥…。
急に、寒くなりました。
もうすっかり、空も秋の色です。
なぜ、同じような気温なのに、
春は、楽しい気分、
秋は、物悲しい気分に
なるのでしょうか。
夏の日ざしの中で、
色鮮やかに見えていたものが、
急に色あせて見えるから
つい、
センチメンタルになるのかも
しれません。
少し、古い映画を見ました。
「 フォレスト・ガンプ 」
アメリカ 1994
早いもので、20年くらい前に
なるんですね。
今見ても、セリフのオモシロさや
トムハンクスはじめ、
役者さんの演技は、
とてもすばらしいと思います。
でも、なぜか、
前とはチガウように
感じました。
それは、アメリカ映画の
「自分の未来は、自分で切りひらく」
というメッセージではなく、
運命に身をゆだねるような、
しなやかな、
アジアの考え方が
垣間見える気がしたのかも。
フォレストは、
決して自分で、人生の選択を
しませんでした。
大学に行くのも、陸軍に入るのも、
エビ漁の船長になったり、
結婚すら
他人が決めました。
そしてなぜか、
自ら、決断を放棄することで、
運がひらけてゆくのです。
「 塞翁が馬 」
あらゆる運命を受け入れて、
ゆきます。
映画には、
ケネディ大統領や
ジョンレノン、プレスリー、
有名人が次々出てきて、
しばらくすると、
世の中から消えていきます。
日本風にいうと、諸行無常。
平家物語の
「…盛者必衰のことわり、」
のようです。
ここでもまた、彼は
傍観者です。
そして、映画には、
独特の孤独感が漂っています。
フォレストと周囲の人たちは、
同じ時代を生き、経験をともにしている
にも関わらず、
フォレストのココロには、いつも
自分しかいません。
他のヒトたちは、
フォレストに接することで、
ツラい経験により、
見失っていた自分自身を取り戻して
いくのですが、
フォレストは、
いつもフォレスト。
変わらないんです。
将来ナニになりたいのか、
聞かれても、
「 ボクは、未来もフォレストだよ。」
足が不自由になり、
自暴自棄になっている元上官も
「 ダン中尉は、ダン中尉。」
‥…、
なのです。
なんか、
いいこと言ってるようにも、
感じるのですが、
ナニがあっても、
変わらないというコト。
そして、ヒトのココロの痛みに、
寄り添わない。
他人と同じように、
苦しみ、失い、そして得る。
そのプロセスがない、
フォレストが、
とても、
孤独な存在に見えるのです。
ジェニーがフォレストの前から、
姿を消すのもまた、
理解し合えないという
孤独を感じ、
いたたまれなくなるのでは
ないでしょうか。
生きにくい、
フォレストが、時々、口にします。
決められたカテゴリーから、
自分がはみ出している、
と感じた時です。
彼は、知能指数が
ボーダーラインより低い= ピュアである、
という、根拠のない偏見のモトに、
描かれているわけですが、
おそらく、彼の場合は、
ピュアではなく、
すべてを論理的に解決しようとする
西洋的な考え方と
対極にある賢さ、
己を知っているということです。
そして悩みだしたら、
修行僧のように、カラダを酷使します。
悩むより、まず走る。
でも、フォレストのような生き方は、
ふつうのヒトはできません。
取り残されるのです。
ダレかが、言っていましたね。
「人間は、考えるアシである」
ヒトは、悩める頭と
希望を感じる、しなやかなココロを
持っている、ということ
なのでしょうか。
希望は、パンドラの箱の
「 イチバンソコ 」に残ったもの。
姿を変えて、私たちの暮らしの中に
きっとあるはず。
‥…。
あれあれ、のっちゃん、
今日は、静かやな。
ドコ行ったのかな。
‥…。
もう、秋ですから。
少し、オセンチ、
そしてだいぶ、寒くなりました。
これから、
ボクのニガテな季節です。
ボクは、
マルマル、ネコである。
フフフ、ぬくぬく ♪ なノダ。
‥…zzz。